奈良橋陽子

玉川との出会い:思い出

家元に最初にお会いしたのは30年ほど前になります。私が一番尊敬し、愛していた父が亡くなった年です。当時私の芝居に出演してくれていた役者のひとりが紹介してくれたのです。お会いした瞬間、家元は私の心の扉を全く戸惑いもなく開き、私のすべてを見通したように、お父さんはいつもそばにいてくれますよ、とおっしゃいました。私の心の一番弱っているところを知られたようで、涙が自然に溢れ出ました。
 
それ以降、長い間会えない時もありましたが、私が大事にしている役者達や、日本舞踊を学びたいという若い女優達などをずっと家元に紹介してきました。その中に今井雅之さんもいました。雅之は心から家元を愛し、それ以来、家元の影響は雅之にとって非常に大きかったと思います。
 
初めてお会いした時から感じていましたが、やはり家元は不思議な力を持っていらしたのです。未来のこと、またすぐ後ろとか周りに何かを感じたり、よく「見えた」のです。私はあまりそういうことは信じない方でしたが、一番びっくりしたのは、私達がニューヨークのアクターズ・スタジオで色々と不思議な出来事を経験して戻ってきた時でした。その旅先で、友人のへディさんがみんなにクリスタルをくれたのです。帰国した翌日、みんなで家元のところに行くと、家元は開口一番「皆、クリスタルを持っている?」―――あの時は本当にびっくりしました!
 
そして、「アクターズ・スタジオから白人の役者が皆についてきたよ!「エル」の文字で始まる名前の人。決して悪い人ではない。皆のことを応援している人だ」と―――実は公演の際、あまり「見えない」スタッフの一人が稽古の後、いつも通り衣裳を畳んでいたときに隣に人がいたと、本当にいたと言って、真っ青になって奥から飛び出してきて、その場に座り込んだという出来事があったのです。アクターズ・スタジオは、1947年頃に古い教会をスタジオに改築したという歴史があります。私達は舞台「ウィンズ・オブ・ゴッド」をその「神聖な」場所で上演したということになります。スタッフが出会ったのはこのスタジオで学んだ俳優だと家元はおっしゃいました。あり得ることだと思いました。そんなことがあって、今井雅之さんはその後に立ち上げた自分の会社に「エル・カンパニー」と名付けたのです。
 
こういう話はまだまだ沢山あります。家元と、役者達と共に過ごした時間の思い出はどれも本当に楽しいものばかりですね。
 
そして、家元のそばでいつも私達のことを見守って下さっていたのが小寿々先生でした。先生の笑顔、精神、光は家元にとっても力になっていたことと思います。そして、最高に嬉しかったのは小寿々先生がアメリカに行かれたことです。真田さんにもお会いになれたということですし、きっと家元も、先生と一緒にいらしたに違いないと思います。

日本舞踊を学ぶ人たちへ

日本人の俳優なら、やはり日本舞踊や、それにまつわる色々なことが必ず必要になってきます。日本舞踊を学ぶことで、日本人であることを知る、立ち居振る舞いを知る、気遣い、そして心を知ることが出来ると思います。もし海外で活躍することを考えているのなら、まずは日本を知ることです。日本の良さ、日本人の良さは本当に奥が深いと思うからです。
 
 私達皆の大事な小寿々先生に、こらからも少しでもお力添えができればと思います。
奈良橋 陽子
 

奈良橋陽子
演出家・映画監督・作詞家・全米キャスティング協会正式会員。
国際基督教大学卒業後、ニューヨークのネイバーフッド・プレイハウスで演技を学ぶ。
海外作品の企画・制作・キャスティングを数多く手掛けるユナイテッド・パフォーマーズ・スタジオ代表、国際的な俳優を育成する養成所アップスアカデミー主宰。