玉川流(玉河流) について
創流からの歴史
舞踊玉河流(玉川流)は元禄初頭に舞の名手と知られた若女形玉川主膳に発するもので、ここに芸系の源がある。
はじめは京阪で名声があがりのちに江戸に下ってから江戸でも有名な俳優となり、村山座(後の市村座)の太夫元・村山又三郎の養子となりしばらくして自身が太夫元となり興行もしている。
二代目は初代の芸を継承した若女形で元禄の末年まで江戸で舞台をつとめたが、旅先で病に倒れた。
玉河の芸系はこれより久しく退転していたが明治になり長崎生まれの園城寺小雪がある縁から玉河小雪(初代)を名乗るようになっていた。
四代目となる藤間徳三郎(井出三郎)は3歳のころより花柳、藤間の各流で舞踊修行し、女形を得意とし古典を中心に活躍していた。
園城寺小雪(玉河小雪)は藤間徳三郎の伯母でありその縁により藤間徳三郎は昭和47年9月伯母の園城寺小雪(玉河小雪)を三代目とし、自身が四代目を襲続した。
4代目 玉川流家元
玉川主扇
家元玉川主扇の振り付け作品は、長唄「南蛮哀慕」「新曲鷲娘」大和楽「うぐいす」萩江「竹」新内「扇売り」「雪のお吉」吟詠「保名」「東爛の梨花」「山中の月」ほか、新舞踊は5百曲を超えている。
わたくしは、この4代目玉河主扇の誕生を心から祝福するとともに、藤間徳三郎さんが、あえて、日本の伝統芸術を守り、そしてそれを現代に伝え、明日の糧に培おうとするひた向きな芸術的意欲に、まず敬意を表さずに入られません。
元禄期といえば、江戸文化が華やかに開花結実下時代で特に芸能の分野に置いてほぼ今日に伝わる様々の様式が整った時期でもあったと言われております。こうした意味からのも、新しい時代に伝統の誇り高い格調を持つ、玉河流が徳三郎さんの手によって、日本の舞踊界に再びスポットライトを浴びるとすれば、日本の良き伝統芸術に生きるわたくしどもを含めて、限りない賞賛と拍手を送らずにはいられません。「徳三郎さん」いや「主扇さん」この人は新しいなにものかを身につける様な気がしてならない。古き良き伝統に生き、守りそして、そこにキラリととしたきびしい「現代」を覗かせる新しいタイプの芸術家であることと信じます。
日本芸術協会副会長 古今亭今輔
この古今亭今輔さんの言葉通り、4代目 玉川主扇のまわりには日本舞踊という垣根を超えて、俳優、演出家、映画監督、歌手、映画・音楽関係者、実業家などがつどい、様々な人々がその人がらを愛し、会話を楽しみ、叱られることもまた嬉しく感じたという。
生きる仏とまで言われたその主扇の人生は多くの、非常に多くの人たちに惜しまれつつ平成28年2月9日この世の幕を閉じた。